医療安全学―患者安全を目的とする多職種専門家チーム

京都大学 医学部附属病院 医療安全管理部
松村由美 教授

医療安全学は、患者への医療サービスの質の向上を目指すために基本となる人間の行動を知り、「人間」と「機械等を含む業務支援環境」との効果的な連携を学ぶ学問分野です。
京都大学医学部附属病院医療安全管理部は、医師、薬剤師が所属し、看護部に所属する看護師ともチームを組み、共に実務を担うともとに、日常業務から得られる疑問に研究を通じて回答を見いだし、業務の改善活動に活かしています。研究内容がそのまま患者の安全につながるやりがいの感じられる領域です。私たちは、患者安全を目的とするためには、「人」と「環境」を共に改善する必要がある、という考えを持っており、エラーを分析し、得られた知見から改善策を講じ、現場に適用しています。

なぜ患者安全が重要か
驚かれるかもしれませんが、死因の第三位は医療ミスによる死亡である、と言われています。もっとも、このデータは米国のものですが、2016年に発表されたこの論文では、10人に1人が医療事故によって死亡している、と試算されています。皆さんの頭の中に思い浮かべる医療ミスとはどのような内容でしょうか。ハイリスク薬を10倍量投与する、技量が伴わない外科医が乱暴な手術をする、輸血のときに血液型を間違う、ということでしょうか。もちろん、このような事故はいかにもミスがあったと分かりやすく、大きな報道になって、社会の注目を浴びることでしょう。しかしながら、実際には、どこにエラーがあったのか分からないようなことが積み重なった結果、期待と異なる大きな害をもたらした、というタイプの医療事故があります。

先進国での患者安全上の問題点
では、どうして、このようなタイプの「医療事故」が発生するのでしょうか。それは、医療が高度化し、「低侵襲化」や「高い効果」を目指す新しい医療技術が生みだされてきたからです。このような技術には恩恵があります。今まで、治療の選択肢がなかった病態や高齢の患者さんに対する新たな選択肢が追加されました。低侵襲化の例として手術創を小さくしたり、人間の手が届きにくい部位にアプローチできたりするロボット支援手術があります。また、開胸手術はリスクが高すぎて行えないほど心機能などの身体機能が低下している場合にも、より低侵襲のカテーテル手術で心臓の手術をすることもできるようになりました。これにより、今までは手術侵襲のリスクが高すぎて手術の選択肢がなかった高齢者に新たな選択肢ができた一方で、手術そのものは成功しても、合併症が増加している現状があります。また、複雑で高度な医療は、それにかかわる医療者の数も増えます。各自にミスがあるとはいえない状況であっても、医療者間の情報共有に問題が生じ、患者への医療サービス提供プロセスの中で抜けが生じ、患者に害を与えることがあります。「複雑なシステムは無数の方法で失敗するものである」という警句がありますが、複雑で多くの医療者が関わる現在の医療システムには、その状況が当てはまります。専門性を追求し、各専門分野が深化してきた中で、横のつながりを構築することは、より一層難しくなっています。部門や診療科横断的な医療を提供する場合に統括する役割の医療者が明確でない場合があり、部分的には最適化が図られていたとしても、全体としての機能不全に陥り、事故が発生します。

データ分析の重要性と患者への適切な情報提供
そこで、部署横断的・組織横断的に医療サービス全体を大きく捉えることが必要になってきました。そのためには、医療の現場でどのようなリスクや課題が存在するのか、ということを認識することから始めなければなりません。医療安全学は、実務の中で課題を見つけ、解決策を検討していく学問です。何らかの対策を講じたとすれば、その有効性を測定しなければなりません。医療を受けるのは患者であることから、患者の意向や期待を反映させる形で医療安全の体制を構築していく必要があります。患者の満足度調査も研究の対象となります。手術等の侵襲的医療の安全を考える場合には、その医療による合併症発生率をモニタリングしていく必要性があります。モニタリングで得られた情報を医療者だけが共有するのではなく、インフォームド・コンセントの場で患者に伝え、患者の自己決定権を行使できる形でフィードバックすることが重要になってきます。ある医療が比較的安全であると判断するためには、リスクも含め、科学的に説明できる根拠となるデータが必要です。

効果的な医療チーム形成を目指して
医療安全管理部は、実務が中心になりますが、それを支える研究にも平行して取り組んでいます。効果的な医療チームとして病院内で機能するためには、医療者からの信頼が重要であり、そのためには、医療安全管理部門自身が科学的根拠を得て、医療者に提示し、納得を得ることが必要になります。

図 医療安全管理室による院内ラウンドの様子