京大病院の情報化戦略 —医療情報学の現場—

京都大学 医学部附属病院 医療情報企画部
黒田知宏 教授

医療情報学は、医療を情報学視点から捉えて分析し、情報技術を適用して医療を変えることを目指す学問分野です。
京都大学医学部附属病院医療情報企画部は、病院の情報管理・経営管理の業務を担うとともに、医学研究科医学・医科学専攻医療情報学分野、情報学研究科社会情報学専攻医療情報学講座として、医学・医科学・情報学の教育・研究も担っています。医学系の学生と情報工学系の学生が臨床現場で一緒に研究することができる、我が国でほぼ唯一の研究室として、実際に医療現場のデータを手に取って分析し、新しい情報技術を実際の医療現場に適用して評価することで、情報技術のある医療現場の姿を開拓する研究を進めています。
京大病院では、情報技術を活用した様々な新しい試みを継続的に進めていますが、その多くは卒業生達の研究成果によるものです。

KING:京大病院のHIS

京大病院の情報戦略の根幹は「臨床現場に機嫌良く情報システムを使ってもらう」ことです。個人情報の秘匿性等を損なわずに情報システムの可用性を最大化することで、情報セキュリティのCIA(秘匿性・完全性・可用性)をバランス良く維持することを目指しています。2016年に運用を開始した、KING6と呼ばれる病院情報システム(HIS)では、Dynamic VLAN 技術とVDI(Virtual Desktop Infrastructure)技術を活用し、患者情報の安全性を担保しながら院内どこでも自由にPCを繋いで電子カルテとインターネット上のホームページを同時に閲覧できる環境を実現しています。また、カルテ蓄積情報を活用して半自動で診療カンファレンス資料を生成するMCP(Medical Conference Portal)など、患者情報をできるだけ電子カルテから取り出さずに業務が完遂できるような環境を、企業と共同で開発し、診療現場に導入しています。

IoTと人間機械系システム

2005年の電子カルテ導入以来、京大病院ではIoT(Internet of Things)技術の活用を進めてきました。IoT技術の導入は、医療機器から直接電子カルテにデータを送信するようにすることで、患者情報の安全性とデータの完全性を守ることに役立つと同時に、医療現場の効率性と安全性を高めるのに役立ちます。
例えば、BLE(Bluetooth Low Energy)とNFC(Near Field Communication)技術を活用することで、BLEバッチをつけた看護師がベッドサイドに設置したカードリーダに体温計や血糖値系をかざすだけで、計測した体温や血糖値などのバイタルデータを記録できる、VDT(Vital Data Terminal)を導入しています。さらに、輸液ポンプやそこにセットした薬剤の情報まで半自動で取得できれば、どの薬を誰にどんな速度で注射するのかを、電子カルテ上に記録されている医師の指示と比較して、指示通りの正しい点滴が行われているかを、ほぼ自動的に確認する情報システムも実現するはずです。
このように、人間と機械(情報システム)が協力して業務をこなすシステムを人間機械系システムと呼び、位置情報・HIS情報等から得られる診療の「文脈」に応じた「ここだけ・今だけ・あなただけ」のサービスをcontext aware serviceと呼びます。診療の様々な場面でcontext aware serviceを提供する情報システム臨床現場が少しでも効率的で安全な人間機械系システムに変わっていくよう、診療の様々な場面でcontext aware serviceを提供する情報システムを開発する研究を、これからも弛まなく続けなければなりません。

ビッグデータとAI

IoTの導入で、いつ(when)どこで(where)誰が・誰の(who/whom)何を(what)どうやって(how)計測したかという4W1H情報と計測されたバイタルデータからなる客観的なデータが自動的に取得できるようになりました。一方、電子カルテには、医師がこれらの情報の内の何を見て、どのような判断を下したかという、主観的な思考過程が記録されています。これらの客観的データと主観的データを、コンピュータが処理するのに適した(機械可読性の高い)形で蓄積できれば、様々な分析に活用できるビッグデータが構築されます。様々な分析手法を適用することで新たな医学的知見を見出したり、病院の効率的な経営方法を探ったりする研究が、現在も日々行われています。
近年注目を集めているDeep Learning等の手法を活用して作られる人工知能(AI)は、ビッグデータが存在しなければ実現しません。AIは良いデータを与えなければ正しく成長できず、間違えた答えばかりを与える機械になってしまいます。ですから、医療用AIの成否は、高品質な医療ビッグデータがあるかどうかで決まります。京大病院には、10年余りにわたって蓄積してきた高品質な医療ビッグデータが存在します。京大病院は、この医療ビッグデータを活用して「人工知能の学校」となり、沢山の良質な医療用AIを世に送り出すようになるでしょう。私たちは、「人工知能の学校」を作り、運営する活動を通じて、次世代の医療を産み出す研究者たちを育てていきたいと思っています。