「超高齢社会における最大の健康問題:認知症」

京都大学大学院 医学研究科 人間健康科学系専攻
木下彩栄 教授

すでにご存じの方も多いと思うが、団塊の世代がすべて後期高齢者になる2025年には、本邦で700万人前後の人が認知症に罹患すると推測されている。認知症患者数は、高齢化に伴って全世界的に著増しており、世界で最も高齢化が進んでいる本邦では、認知症が最も深刻な健康問題になりつつある。

認知症、中でもその大半を占めるとされるアルツハイマー病では、大脳という脳の中の最も「人間らしい」部分が障害される。ヒトが最も他の霊長類と異なる部分は、まさにこの大脳であり、高度な文明を発達させることができたのも、ひとえに進化によってヒトの大脳が高度に発達したことが最大の要因であると言ってよいであろう。よって、大脳が障害されることで、様々な社会生活・家庭生活が不便になることは当然予想されると思う。この病気では、自分が病気だという意識、つまり「病識」がないことが多い。それは、記憶や深い判断力といった脳の機能が失われて行くからである。そうするとどうなるか?まず、自ら病院に足を運ぶことがない。認知症を発症していても、診断が遅れがちになってしまう。その結果として、犯罪に巻き込まれたり、交通事故を起こしたり、取り返しのつかないことを引き起こしてしまう可能性もある。こうしたことを予防するためには、早期発見・早期介入しかないと考える。それも、町ぐるみでの取り組みが非常に重要になってくるのではないであろうか。

このように、社会生活・家庭生活を困難にする認知症、中でもアルツハイマー病は、残念ながら、現在の時点では根治は不可能である。薬剤としては、「進行を遅らせたり、症状を軽減させる」といった目的の治療薬が上市されているが、アルツハイマー病の根本原因にアプローチする薬ではない。そもそも、まだアルツハイマー病がどのようにして引き起こされるのか、といったことすら正確にわかっていないのが現状である。

たとえば、肝臓がんなどと比較してみよう。肝臓がんの診断のためには、肝臓の機能を反映する血液マーカー、あるいは腫瘍の存在を知らせるような腫瘍マーカーを用いてスクリーニングすることが一般的であろうと思われる。もし、肝臓がんが疑われれば、画像診断などを行うであろう。必要があれば、針生検なども行って病理を確かめるのではないかと推察する(あいにく筆者は肝臓については専門家ではないので、間違っていたらご了承いただきたい)。しかしながら、アルツハイマー病においては、これらの検査のいずれもが不可能な状態であった。血液マーカーは存在しないし、画像診断も、脳の萎縮初見をとらえて参考にするが、特異度においては低いと言わざるを得ない。なにより、脳の萎縮はアルツハイマー病の病理を正確に反映するわけではない。さらに、脳という組織の特性上、針生検も実質不可能である。要するに、こうした神経系の疾患においては、他の内科的疾患で可能な検査が非常に難しいという時代が長く続いていたのである。それゆえに、神経内科医は、「ハンマー(医療器具の一種、打腱器)」を持って患者さんとお話しして、病気について「推理」せざるを得なかった。これでは、病気を根本から治すような治療薬などできるはずがない。少なくとも数年前まではこのような状況であったと認識している。
それが、ここのところ大きく変わろうとしている。アルツハイマー病の病理を反映するような画像検査や髄液検査などが可能になり、アルツハイマー病の自然史が理解できるようになってきたのである。これらの検査によって分かったことは非常に大きい。アルツハイマー病は「高齢者の病気」ではなく、すでに発症する20年以上前から脳内に変化が来ていること、その変化は、現在のところ止めようがなく、ある時点で神経細胞が死に始めると、そこでさまざまな治療薬を試しても神経細胞死に至るプロセスを止めることができないことなどがわかってきたのである。

さて、このような病気に対して我々がなすべきことは何であろうか。まずは、疫学的なアプローチ、つまり、どのような人がアルツハイマー病にかかりやすく、どのような人がかかりにくいのか、ということを多くの住民のデータから解析するという方法が考えられる。実際にこうした手法で、さまざまなアルツハイマー病の危険因子がわかってきた。中年期の難聴、高血圧、肥満、老年期の喫煙、うつ、身体不活発、社会的孤立、糖尿病、などである。それに加えて、幼少期からの教育歴もアルツハイマー病の発症に関わっているという。つまり、アルツハイマー病予防のためには、「若いころからの生活習慣に気を付ける」必要があるということがわかってきたのである。さらに、遺伝性アルツハイマー病の患者からのアプローチもなされている。必ず発症するとわかっている遺伝子変異をもつ未発症の方(保因者)に、どのような治療法がアルツハイマー病の発症を遅らせることができるのか、という治験を試すのである。実際に、アメリカなどではこのアプローチはすでに試みられており、本邦でも始まりつつある。

このように、超高齢社会の最大の健康問題である認知症に対しては、人類の叡智を結集して対策を考えねばならない。研究や対策の遅れは、将来の国力をも損なう可能性があるといっていいほど、喫緊の課題なのである。こうした中で、医学以外の他分野からの参入は極めて意義深いと考える。画像診断、バイオマーカーといった検査技術のみならず、認知症になっても暮らしやすい社会の構築などは、医師のみ、医学のみでは解決することは不可能である。多くの他分野の研究者の参入こそが、超高齢社会のさまざまな課題を解決する一歩となると確信している。

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https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3906607/