大阪大学大学院医学系研究科地域包括ケア学・老年看護学
公益財団法人浅香山病院
山川みやえ 教授
看護師とは何者なのか
患者の療養に最も実質的な責任を持っている者はだれか、それはおそらく看護師だろう。看護師とは診療の補助と療養上の世話を担う者として業務独占での国家資格と定められている。
大学院生時代にクリニックで看護師のアルバイトをしていた。その時に頭が痛い、身体がだるいといった、いわゆる不定愁訴がある人にあった。何度もあらゆる検査をしても原因がわからず、処方された薬剤も効果があるのかないのかわからなかった。その時に医師はその患者にこう告げた。「体としては特に問題ない、あとは心の問題なので、看護師さんによく話を聞いてもらうように。」 話をするようにと言われた私は困ってしまった。心の問題なのか、心の問題だとしたらどうしたらよいのか、一体何が問題なのか。原因がわからないときに、心の問題を扱う場合に、その存在価値がある者が看護師なのか。
患者に「寄り添う」ということ
実は私たちの間では、「患者さんに寄り添って、、、」という言葉を非常に多用する。寄り添うとはどういうことなのか。いつも付いて歩くということなのか。私はそんなことはしないが、看護教員は、患者の心まで患者に寄り添うようにと、いわゆる「受容と共感」を学生たちに強いる。学生はそれが何かわからずに、戸惑うが、教員は畳みかけるようにベッドサイドに行くように言っている。何をするかわかっていないのにベッドサイドに行けと言われる学生たちは、言われるがままに患者のベッドサイドにいて、よく聞き取れなくても相槌をうったり、愛想笑いをしたりしている。患者が何をいってもニコニコしていなければいけないような状況を、教える側が「仕向けている」といっても良いだろう。やはり、常に物理的にそばにいて、形のない患者の心の問題に「寄り添って」いるようにする者が看護師なのか。
このように時として看護師のしていることは、一見つかみどころがない。看護師はこういう場合、「療養上の世話」が専門なので、いかにしてその体の不具合が療養生活に影響を与えるのかというところを明確にする。そして、その体の不具合に関連していることを探したり、生活への影響を最小限にするということを絶えず考えて実行を繰り返す。しかし、毎回患者が異なれば、やることは違い、同じ患者でも日々、時間ごとに異なる。つまり、この仕事のプロセスは非常に柔軟性があり、創造力を必要とする。まさに個別化医療である。
しかしながら、看護師は「療養上の世話」を時としてやりすぎることがある。患者になにかしてあげないといけないという上から目線の関わりをしていることに気づかず、患者が困らないように先回りしていろいろと画策したり、患者がゴハンが食べれないと手伝って口まで持っていき、排尿がむずかしく、手術の後にいれた尿道カテーテルをそのままにしていたり。患者に「寄り添い」過ぎて、患者の自律を削いでいることに気づかない。知らない間に病院の中で依存傾向のある患者を創り上げている。それは個別化医療ではない。看護師は個別化医療の重要なところを担っているといえるが、逆に患者の個別化医療を画一化させる力も持っている。患者主体のケア、患者の自律を促すケア、それこそが個別化医療につながる。しかし、看護師が個別化医療を明確にするためには、何か道標のようなものが必要である。
グローバル化の中の個別化医療
その道標としては、エビデンスに基づいた実践(Evidence Based Practice; EBP)がある。このEBPは10年以上前に提唱された概念であるが、EBPでは単に研究のエビデンスをそのまま実践に当てはめるのでもなく、エキスパートの視点、ケアの対象者である患者の視点も踏まえもので、様々な立場が絡んで進める非常に文化的にはグローバルな実践である。また研究のエビデンスという点においても、国際的な研究の方向性が必要であるため、グローバリズムが重要視されている。個別化医療を実現するためにグローバリズムは必要な手段だといえる。
EBPの実践には国際的な研究の方向性だけではなく、個々に関わる者のグローバルな視点が必要である。たとえば、私の専門領域は認知症ケアであるが、認知症の人は見当識障害などの時間、場所などがわからなくなり、不眠になり昼夜逆転に陥ることが多い。そのような場合、まず睡眠の状況を正確に把握することが必要であるが、自分の睡眠の状況について正確に訴えることが難しい場合が多い。そのような場合、通常の看護師の観察だけでは、人手も不足していたり、観察のタイミングが合わなかったりして、正確な情報を把握することが難しい。その場合に、睡眠モニタリングデバイスなどを用いて、観察の補助とすることも可能である。この場合、看護だけではなく、工学系の企業や研究者、データ解析の専門家などとのコラボレーションをしなければならないが、この異分野の人たちとのかかわりにおいて、私たちの実践がより充実することはわかりきっている。もちろん倫理的な問題などはクリアしなければいけないが、多職種連携ではなく、分野横断的に医療を考え直さなければ、この私たち看護師はいつまでたっても、時代遅れの気持ちだけで押し通す「患者に寄り添う」ことをしつづけるだろう。
個別化医療の中心的な専門職である看護師は、患者の主体を重要視するために、常にグローバルの流れを活用し、患者を客観的に見つめることが重要である。個別化医療を充実するための様々なグローバリズムの中での看護ケアの戦略はまだ始まったばかりである。